東京高等裁判所 昭和32年(う)110号 判決
被告人 神戸盛忠
〔抄 録〕
論旨第一点乃至第三点について。
原判決挙示の証拠並びに本件記録によれば、被告人は判示日時判示小型乗用自動車を運転して、東京都公安委員会が道路標識により「午前七時より午前二時まで流しタクシーの通行禁止区域」とした判示道路を空車札を掲出して通行したことはその証明が十分である。
被告人は原審において、当日京浜国道の新橋駅西南寄ガード附近にある株式会社新橋タイヤ商会前附近道路で客を降し、新橋駅構内の駐車場に入るつもりで、右禁止区域に入つたもので、その時空車札は客を降したとき習慣的に上げたと思うが新橋駅前で警察官に注意され流し違反として捕つたときは空車札は下つていた。その空車札にランプが灯いていたかどうか気がつかないが、当時その自動車の空車札は締めつけのネヂがゆるんでいたので、自然に下ることがあり、その時もそのため下つたのかも知れない。とにかく私としては故意に空車札を掲出し流しタクシーとして右個所に入つたものでないから法令に違反したものではない。仮に空車札がでていたとしても、あの場所は十二時過には交通は少ないから本件行為が交通の安全を害する虞はなく道路交通取締法第六条の精神に反するものとして処罰に値するものではないと思うと弁解している。
しかし原審証人原田哲夫、関口清、榎田治三の各供述、原審検証調書の記載長尾林三郎提出の答申書を総合すれば、一般に、通常のタクシーの空車札は手で上げると、下げた場合の位置から百八十度の角度をもつてはね上り外から空車札の表が見えないようになる。本件自動車の空車札はしめつけのネジが緩んでいるので半分位しか上らないし完全に上げても下り易く中途迄下り斜になり易い、しかし空車ランプは完全に下げた場合でなければ灯かないようになつていること、被告人が本件禁止区域に進入して来た当時空車札は下り、ランプが灯いていたこと、被告人の所属する国際自動車株式会社では空車札について、特別の指示はしていないが空車札故障の場合は直ちに修理するよう簡単な工具が与えてあることが認められる。これらの点から考えると被告人が本件禁止区域に入る前空車札を上げたのに進行中知らぬ間に下つていたと云う弁解はこれを措信し難く、被告人は本件禁止区域において客の乗つていない車に空車札を掲出(空車札が下りランプが灯いている状態を指称する)した儘で運転して来たものと認めるのが相当である。そしてそれが仮に被告人が右区域を運転する際故意に空車札を掲出したものでないとしても、少くとも被告人において右空車札を掲出していることについてその認識があつたものと認めざるを得ない。なお本件の個所が流しタクシーの通行禁止区域であることを被告人が知つておることは記録上認められるのである。そして本件道路標識に指示された「流しタクシー」とは、客を乗せていないタクシーが乗客を誘引する目的で空車札を掲出し或いは道路上で客を乗車させることを云うものと解すべく、また客を乗せていないタクシーが空車札を掲出して道路を運転する場合は特に反対の事情の認められない限り通常客を誘引する目的で空車札を掲出しているものと認めるのが相当であるから、特に反対の事情の認められない本件においても、前記被告人の所為は客を誘引する目的で空車札を掲出して右禁止区域を通行したもの即ち右禁止区域において流しタクシーを運転通行したものと認めるのが相当である。被告人は前示のように新橋駅近くで客を降し駅構内の駐車場に入るつもりで本件区域に入つて来たものであるから、空車札が下つていたとしてもこれにより客を誘引する目的は全然なかつた旨弁解するのであるが、被告人が新橋駅近くで客を降したと云うことは、被告人の原審検証の際の指示説明の外これを認めるに足る証拠はなく、またその際駅構内の駐車場に入るつもりで空車札を上げて入つて来たのであればそれが被告人の知らない間に完全に下つてランプがついていたと云うようなことは殆んど考えられないことは前示のとおりであるから、この点の弁解もまた措信し難い。また、被告人の本件所為は前示道路標識により指示された禁止時間中の行為であり、午前零時四十五分頃本件箇所の通行が稀な状況にあると云えないことは原審証人榎田治三の供述によつて明らかであるから、本件行為が道路交通法による取締の精神に反しないものと認められないことも多言を要しない。
要するに、原審の認定は措辞やや当を欠くものがないではないが、被告人が判示流しタクシー通行禁止区域内において禁止時間内に流しタクシーを運転通行したと云う事実を認定したものとして違法な判示ではないと認められるから論旨はすべて理由がない。
(谷中 坂間 荒川)